真木柚布子ファンクラブ「柚の会」スタッフブログ

真木柚布子ファンクラブ柚の会事務局スタッフのブログです。

こちらのブログでは柚の会会員の方だけではなく、一般の方にも楽しく見て頂ける様に、これまで会報などにも取り上げた写真やお話もアップして行こうと思ってますのでお楽しみに!

  既に先日上げている「三十年の歌語り」ですが
  今の真木さんにとっては歌えない曲になってしまったかもしれません。  
    
  もし、CDをお持ちでしたらあらためて聞いてみて下さいね!

  特に長島温泉のステージをご覧になった皆様には感じるものが
  あると思います。

  ただ、自身の不幸や悲しみは決して表に出してはいけない世界。

  もちろんそれを一番わかっているのが真木さんですから、
  これからもいつも通りの真木さんのステージを堪能して頂ければと
  思います。

  やっぱり、真木さんのあの明るさも売りですからね!

                ♪ かんりにん ♫
  

  先日「花柚の道」と言うのを唐突に上げさせて頂きました。
  この詩は、元々真木さんと亡くなったお父様の事を書いたものでした。  
  それは、真木さんが小学校の頃に学校でやるお芝居の中で使う歌を   
  お父様と二人で作って、それが採用になった。と言う話を聞いて   
  いましたし、お父様も歌や芸事が好きだったようですから、
  真木さんが歌が大好きだったのを、心から喜んで応援してたと思います。
  ですから、早くに亡くなったお父様は、ずっとどこかで真木さんを見守って
  いてくれるんだろうな~と。
  そして、真木さんにはお父様と同じ様に、温かく見守って下さるファンの方々が
  いますので、この「花柚の道」と言うのは、真木さんを応援して下さる方々
  全ての皆さんと、真木さんの事を書いたものとしていました。
  そして11月29日には、直接拍手も応援も出来ませんが、ずっと遠くで
  見守っていたお父様と一緒に、お母様も並んで真木さんを見守って下さる
  事でしょう。

   真木さんを遠くから見守っているご両親と、いつも温かく応援して下さる
  多くのファンの皆様に、感謝と共に捧げるつもりであげさせていただいた
  「花柚の道」・・・どうかこれからも応援よろしくお願い致します。

                   ♪ かんりにん ♫

   

     今回は少し長くなりますが、ご容赦下さい。

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   昨日は無事TV収録を終える事が出来ました・・・とお伝え
   致しましたが、少々難しいスケジュール調整をお願いしての
   事でした。
   (キングレコードのご担当・TVの制作会社のご担当には急遽の
     ご無理をお願い致しました。)
   と言いますのは、実は長年真木さんと二人三脚で歩いてこられた
   お母さまが亡くなり、その告別式だったからです。
   この御不幸の件については、告別式が終わり落ち着くまでは
   伏せておくようにとの真木さんのご希望もあり公表しないで
   おりました。
    
   こちらのブログでは11月30日早朝に「花柚の道」と言う詩を
   突然に上げさせて頂いておりますし、その後も「三十年の歌語り」や
   唐突な文を上げておりましたので疑問に思われた方もあったかと
   思います。
   実は長島温泉湯あみの島の公演最終日前夜11月29日23:30頃に
   お母さまが亡くなられたと報告が入っていたんです。
   もちろん真木さんは寝れるはずもなく、朝食も取れず衰弱した状態で
   楽屋入りし、誰にもその事を伝える事なく、真木さんは精一杯のステージで
   最終日を終えました。
   ただ、その足で広島移動の為の荷物整理が必要だったのですが、その荷物
   整理でさえ出来ない程に気持ちが乱れていましたので、急遽車でそのまま
   広島へ向かわざるをえない状態でした。
   そして、お母さまが亡くなられてるのに帰京する事も出来ず、通夜・告別式
   にも戻れない状況だったのですが、お母様の看病をしていたお姉さまが
   真木さんが仕事を終えて戻る5日まで通夜をのばして下さり、4日の仕事
   終わりで自宅に戻り、やっと真木さんは亡くなったお母様と会う事が
   出来ました。
   (自宅で必死に頑張って下さっていたお姉さまにも感謝です)
   その間現場ではマネージャーのLちゃんが真木さんを支えて頑張ってくれて
   いました。
   昔から「芸能界は親の死にめには会えない」と言われていますが、まさに
   その現実が真木さんに・・・
   
   真木さんは早くにお父様を亡くし、お母様と二人で何十年と二人三脚で
   やってこられました。そして、お母様は真木柚布子の一番のファンとして
   各地で行われる公演でも、一般のお客様にまじって客席から応援して
   下さっていました。
   それもあって、真木さんのファンの皆様の中では「お母さん お母さん」と
   言ってかなり親しくして下さる方もあり、病気で倒れられてからは多くの
   皆さんが心配して下さっていました。

   お父様が亡くなられてからは、真木さんが仕事で頑張りお母様と二人で
   苦労を重ねてきた長い年月。
   私がご縁が出来た頃からは、お姉さまも一緒に住むようになっていましたが
   自宅でも「真木ちゃん!真木ちゃん!」と言って、仲の良かったお母様と
   真木さんの二人三脚の人生。

   もしかしたら、お母様から真木さんへの最後のメッセージは
   「どんなに辛い事があってもお客様の前では精一杯頑張りなさいね!」と
   言う事だったのかもしれません。
   そして、真木さんはちゃんとやり遂げました。
   11月30日 一番辛い時の公演は「これが真木柚布子です!」と
   言えるようなものだったと思います。

   多くの皆様とご縁のあった真木さんのお母様の訃報をこのような形で
   お伝えするのは申し訳ないのですが、内々で済ませたいと言う
   真木さんの意向もあり、通夜・告別式は親族のみの家族で行うとの事で
   現場スタッフも遠慮せざるをえない状況でした。

   私もお母様とは親しくさせて頂き、食事の席ではお母様の親戚の話や
   秩父での事など沢山聞かせて頂いてましたので、最後にお会い出来なかった
   のは残念ですが、私の中には一緒に食事をしたうなぎ屋さんでの面影を
   そのままの残しておこうと思います。

   お母様とご縁のありました多くの皆様も、どうか思い出と共に
   心の中で手を合わせて頂ければ幸いです。

   真木さんご自身が、公にして皆様にご心配をおかけしたくないとの
   思いでしたが、昨夜了解を得てこちらにてご報告させて頂きます。
   ただ、真木さんの意向もありますので、特にお気遣いなく
   これまで通りの応援をお願い出来れば幸いです。

                  ♪ かんりにん ♫
   
  
   
   
   

   


    

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