【 お光・吾作物語 】
浪曲『佐渡情話』で有名な「お光・吾作」の実在のモデルと伝えられている、小木の娘「お弁」と番神の漁師「藤吉」の恋物語と言われる佐渡民話から作品化されたもので、民話では藤吉が仕事で佐渡に滞在中、お弁と恋仲になったが藤吉には柏崎に妻子がおり、柏崎へ帰った藤吉を忘れられないお弁は、「たらい舟」に乗って毎晩藤吉に会いにきました。
ただ、そのお弁の熱意が恐ろしくなった藤吉は、嵐の夜にお弁がたらい舟で渡る目当てにしていた番神岬の灯火を消してしまうのでした。
ただ、そのお弁の熱意が恐ろしくなった藤吉は、嵐の夜にお弁がたらい舟で渡る目当てにしていた番神岬の灯火を消してしまうのでした。
お弁は嵐の中目標を失い難破し、数日後そのなきがらは青海川の海岸に打ち上げられたと言う話です。
※この作品は民話をもとに「お光・吾作物語り」として、真木柚布子の多くの楽曲で作詞をして下さった下地亜紀子先生が脚本を手がけ、劇中歌では女としての二面性と情念を「夜叉」として、弦哲也先生が曲をつけて披露したことで、語り芝居作品とともに楽曲の評価にもつながった作品。
また劇中歌として「越佐海峡~恋情話~」も制作されており、その楽曲の事もあって、ファンクラブツアーで佐渡へ行き、東京での舞台公演の前にショートバージョンとしてファンの皆様にサプライズ企画として先行披露させて頂きました。
この時はホテルのイベントスペースで実演させて頂いたのですが、実は当初の計画としては海岸沿いの芝生の広場に篝火を灯し、真木さんが越佐海峡を背にして夕日が沈む時間帯に実際の波音を聞きながら実演するつもりだったんです。
それも岸壁の上の広場で絶景ポイント・・・
この場所の選定には佐渡市役所の方にもご協力頂き、もし雨が降った時にはすぐ脇のホテルの宴会場を使用する対応も考えていたんですが・・・
ただ、多くのファンの皆さんに入って頂くには、宴会場のスペースの問題やちょうど雨の不安のある時期でもあって、仕方なく屋外での実演を断念したんです。
ちなみに、この時の会場候補として屋外能楽堂もあったんですが、雨の時の対応が難しく
これも却下・・・
ただ、この作品はどうしても自然の波音が聞こえる場所で出来ないかと、下見にも時間をかけたんですが、最終的には温泉ホテルとして名のある旅館の宴会場で実演。
いまだに越佐海峡の自然の波音の聞こえる屋外で実演出来なかった事は心残りです。
そして、時間をおいて東京で特別公演として実演したんですが、この時にはもともとの脚本にはなかった、部分が数か所急遽追加されました。
その一つが芝居途中で遠くから響き聞こえる吾作の村仲間の歌で、後に「闇 歌」と名付けられました。
ただ、歌と言っても 「波が高けりゃ 沈めてやろう 吾作が鬼と思われようと 添えない二人の 明かりは消そう 」と言うお光と吾作の中を引き裂く闇夜の呪いのようなものなんですが、実はこの部分も弦哲也先生が曲をつけて下さったんです。
ただ、問題はこの部分を誰が歌うんだろう?・・・と皆の頭の中は???
そんな時真木さんが「村人の呪いの歌みたいなもんだから、上手い下手でもないから皆で歌えば良いんじゃないですか」の一言
でも、スタッフや共演者は???、で・・・それ誰の事?
つまり、皆尻込み(笑)
つまり、皆尻込み(笑)
ま~結局は演出の久世龍之介さんや舞踊団正藤の男性陣が歌うことになったんですが、舞台で使う以上事前に録音する必要があって、なんと稽古時間の前にキングレコードのスタジオに行って録音することになったんです。
そして、いざ録音となって歌ってみるとどうも微妙・・・
ま~そりゃそうですよね! なんせ素人が低い声で呪いの歌を歌うんですから・・・
でも、とにかく何とか仕上げなきゃいけないとなった時に、歌手としての血が騒いだのが真木さんでした。