makisannoyuzunokaiのblog

真木柚布子ファンクラブ柚の会事務局スタッフのブログです。

こちらのブログでは柚の会会員の方だけではなく、一般の方にも楽しく見て頂ける様に、これまで会報などにも取り上げた写真やお話もアップして行こうと思ってますのでお楽しみに!

 10月31日(土)急遽 王子北とぴあさくらホールでの催事に出演する事になりました。

 ミニライブでお客様との距離が近い舞台での温かい雰囲気の時間・・・
 それは、歌手として皆様に応援して頂いてる事を実感する場所でもあります。

 そして、大きなホールでの公演
 それは、今自分に出来る事を精一杯やりとげて、ファンの皆様に楽しんで頂く場所

sub_hall_sakura_stage

  ただ、今回は収録催事のゲスト出演ですから特に多くの事が出来る訳ではありませんが、コロナ禍で多くの皆さんが苦しんでる中、本人は「少しづつ 一歩づつ」でも前に進み、また以前の様に皆様に喜んで頂ける公演を実現する事を思い描いて舞台に上がる事と思います。


   <余談>
 「 少しづつ 一歩づつ 」で「ずつ」ではなく、あえて「づつ」を使わせて頂いてます。

 これは古語から由来する言葉で、「づつ」の語源は色々あるみたいですが、一説には「ひとつ、ふたつ」といった数を数える言葉の「つ」を重ねて表現したものと言われてます。


スタッフブログをあげるのに
「真木さ~~~ん!真木さんのブログで使ってない写真とか、仕事で地方に行った時の写真で使ってないのがあればこちらのブログで書き込んで上げますけど・・・」と伝えたら、出るわ出るわ・・・(笑)それも、食べ物に関した写真の多い事 多い事。


そんな写真の中には「これって何を撮影したかったんだろう?」と疑問の写真も多々。この写真に至ってはどこの何を撮りたかったのか?さすがに「熊本城VR」は違うだろうし、
くまモンの「黒胡麻太鼓」「白胡麻太鼓」ののぼり?
売店のスイカサイダー・・・意味不明 
たんに売店の風景?・・・
わからない??? 真木さんの意図がわからない???

もしかして

肥後もっこす本舗 「あんたがたどこさ」の看板かな~~~

それにしては店名のはじめがちゃんと写ってないし・・・・・

ちなみにこれは熊本城の売店らしいんですが


熊本城の売店



「あんたがたどこさ」 これは熊戻弁で「あなたの家(住んでるところ)はどこですか?」みたいな意味だったと思います。この「あんたがたどこさ」って聞き覚えありませんか? これは熊本市を舞台にしたわらべ歌の一つで、正式な曲名は「肥後手まり唄」と言います。
何だか可愛らしい感じがしますが・・・
実は・・・
この「あんたがたどこさ」って聞き覚えありませんか? これは熊本市を舞台にしたわらべ歌の一つで、正式な曲名は「肥後手まり唄」と言います。
何だか可愛らしい感じがしますが・・・実は・・・

あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 
( あなたの家はどこですか  肥後の国です  肥後はどこですか )
熊本さ 熊本どこさ 船場さ
( 熊本藩です  熊本藩のどこですか  船場です*熊本城近くに船場橋があり、その近く*)
船場山にはタヌキがおってさ
( 船場山*熊本城の防御土塁*にはタヌキがいます )
それを漁師が鉄砲で撃ってさ
( それを漁師が鉄砲で撃って )
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
( そのタヌキを煮て、焼いて食べます )
それを木の葉でちょいとかぶせ
( 食べ終わったタヌキの骨などは木の葉で隠します )

 
いや~~~子供手まり唄なのに結構な内容だこと・・・
でも、本当はそれに隠した別の意味もあるらしく、「船場山のタヌキ」は埼玉県川越市にある「仙波東照宮に祀られている徳川家康」を意味していて、「猟師」は「新政府軍」の事で「鉄砲で撃ってさ」は「徳川幕府を討つ」と言う意味が隠れているらしいんです。
戊辰戦争の頃は「徳川幕府を討つ」なんて事は言えなかったので歌に隠したんじゃないかと・・・

 

本当はもっと怖い別の意味もあるみたいですが・・・

  ・・・やめときますね!

 
 それより、真木さんはこの写真の裏に何の意図を隠してるんでしょう(笑)

 

                           ♪ かんりにん ♬



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旅日記長崎



   暴れん坊将軍でもお馴染みの第八代将軍 徳川吉宗

 御台所と側室たちの居所である「大奥」では女性たちのバトルが繰り広げられ、当時の多くは絶大な権力を持っていたのです。中でも天英院と月光院の派閥争いは激しく、後に江島生島事件を引き起こし双方の関係者1500人を処罰して大奥から排斥する事になりました。

 ただ、1500人も排斥してもまだ大奥が存在出来たのですから、その規模の大きさが想像出来ます。
そんな大奥も将軍吉宗による「享保の改革」で4000人いたとする人員を1300人にまで削減したとされますが、その方法の中で特筆すべきは「美女50人」を選ぶと言う驚くべきもので、

「美人はほかに嫁ぎ先がすぐに決まるだろうから暇をとらす!」と言う吉宗の裏の思いがあったようです。

 ところで、この写真にある「吉宗」は将軍吉宗には、ま~~~~たく関係なくて、「よしむね」とも読みません。
なんと「よっそう」と読むんです・・・
実は慶応二年に吉田宗吉信武さんが「吉宗」を屋号として始めたお店で、
長崎でも有名な老舗の元祖茶わん蒸し専門店なんです。

 と言う訳でまったく関係のない説明から入ったこの写真(笑)

以前長崎を訪問した時のもので・・・・

「吉宗」の階段に立つ「歌唱院真木の局」様でした。
 どうせなら・・・
「♪ 着物にすれば良かったかしら・・・」(笑)

                             ♪ かんりにん ♬

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