真木柚布子ファンクラブ「柚の会」スタッフブログ

真木柚布子ファンクラブ柚の会事務局スタッフのブログです。

2021年05月

 ブログをアップする中でたまたま今日は何の日だろうか?・・・と思って
 探してみると、「日露戦争中の1905(明治38)年5月27日、連合艦隊司令官・
 東郷平八郎率いる日本海軍と、ロシアのバルチック艦隊が激突。」とか出てました。

 戦争と言えば「知覧のホタル」と言う一人芝居公演をやっている真木さんですが・・・
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  ただ、今回はその話ではなく日本海軍がバルチック艦隊と激戦を繰り広げている頃
 英国では、それまでになかった最新大型戦艦を建造していました。
 それが後にドレッドノートと呼ばれるようになった戦艦です。

 で・・・なぜそれがギターの話になるかと言えば、実はフォークギターの基本的形を大きく
 二つに分けると・・・こうなります。


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  そして、左側の
    dreadnought この形がドレッドノート型と言うんです。

  実はこの形が出るまでは右側のウエストがくびれた形が基本だったんですが
  それより大な形状のスタイルが発表された事で、その特別に大きな形状と
  そのインパクトから英国戦艦の名前「ドレッドノート」となったと言われています。

  ちなみに英語表記ではDreadnought(ドレッドノート)は、Dread(恐怖)Nought(ゼロ)の
  合成語で「恐れ知らず」という意味になります。
  何も知らなければ「恐れ知らずのギター」って事になるのですが、もともとが
イギリス海軍が
  開発した、それまでの常識を覆す最新大型戦艦の名前なんです。
  それはそれまでの
戦艦にくらべ格段に大きかったので、ドレッドノートといえば
  「格段に大きい」という意味も併せ持つようになりました。

  ちなみに、日本語で「ド級」→「でかい」・「超ド級」→「すげぇでかい」
  みたいな言い方は、このドレッドノートの「ド」なんです。
  ただ、馴染みのある「ドでかい」と言う言い方の場合「どえらいでかい」を短くして
  使ってるんだろうと思います。
   ( 名古屋の「ドうまい」なんかは、「どえりゃ~うめ~」ですね 笑 )

  ところで、真木さんもギターの弾き語りをする時に練習で使っていたのが、
  桜材を使ったギターのドレッドノートタイプでした。

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  ただ、さすがに女性には少し大きいので(ド級ですから)
  本番では同じメーカーの桜材を使った小さいモデルのギターに変えました。
  そして、結局真木さんのメインのギターは下の小ぶりなものになり、
  ドレッドノートは長期休暇でドッグ入りしてます(笑)

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        と言う事でギターのお話でした!

                        ♪ かんりにん ♫


  以前より新曲発表に合わせた公演について幾度かCDショップのご担当の方から
 お電話を頂戴していましたが、昨日も久しぶりにご連絡を頂きました。
 実は私はまだそのご担当の方とは一度もお会いした事はありません。
 ただ、その方がご自身の仕事に一生懸命で、その誠実そうな話ぶりに
 ついつい多くを話してしまいました。

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 お話によると、第3回緊急事態宣言を受け4月25日より休店としておられたようで、
 やっと5月20日に開店営業出来るようになったみたいです。

 ただ、この緊急事態宣言下においてはご苦労も多いようですが、
 これまでユーチューブを利用した新曲発表・抽選会やパネル展を企画するなど
 頑張っておられるようです。

 新型コロナウィルス感染症では飲食業関連だけではなく、音楽・芸能関係も勿論ですが
 多くの業種の皆様が苦境に陥っていると思います。
 
 そんな中、何とか乗り切って行く為にも、これまでご縁のあった皆様と
 どうやって協力すれば、新しい展開を見出だす事が出来るかも考えて行く必要が・・・

 コロナさえ落ち着けば、広いスペースのあるCDショップさんでは「カラオケレッスン会」や
 「映像鑑賞ライブ」をやる事だって出来たような気がします。
 ただ、今出来る事と言えば、CDショップさんと協力してユーチューブ配信用の企画を
 立ち上げる事が出来るかもしれません・・・ ま~ 妄想は何でも有りですからね(笑)

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  とにかく、今は仕事自体は足踏みしなきゃいけませんが、頭の中と気持ちだけは
 先を考えて進んでおかなくては・・・(自分に言い聞かせてます!)

  
                       ♪ かんりにん ♫

  
 


  あらためて「日本の歌」としての演歌を考えてみると
  真木さんは中国はじめ東南アジアやアメリカ・ブラジルなどでも
  ステージを披露して来ましたが、やはり真木さんらしいステージは
  海外の方には人気があるようです。

  そしてそんな中、以前ツアーとして行ったハワイでは、地元の
  カラオケ関係の方とのジョイント企画を行いましたが、歌唱出場者の中には
  あえて台詞入りの真木さんの楽曲を歌って下さる方もありました。

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           <お吉恋物語ー光山虎夫さん>

   この方とは幾度かメールのやり取りもしているのですが、根っからの
   演歌好きでした。
    
   そして、この方のように海外でも真木さんの歌を好きで歌って下さってる
   人も多いかと思います。

   ハワイも新型コロナ感染症で大きなダメージを受けているようで
   いつになったら以前の半分でも活気を取り戻せるのか・・・と言う  
   感じなんだと思いますが、日本はもとよりハワイに限らず世界中で
   このコロナの被害がおさまったら、また真木柚布子が魅せる演歌の
   ステージを届けに行ければと・・・

   と言いつつまずは日本国内で楽しみにして下さってる皆様に早くお会い出来る
   のが一番なんですが・・・今は我慢! 我慢!

                      ♪ かんりにん ♫
   

  昨日「日本の歌」としてブログをアップ。
  たまたまそれを見てくれた海外の知人が、使っている写真が日本的だと・・・
  そして、真木さんの姿が素敵ですが、いつもこんな感じの衣装ですか?と
  おまけに、ハリウッド映画などで日本料理店なんかを映すときのイメージっぽいと。
  これは一応「日本的」としての誉め言葉のようです。
  ま~それはともかくとして、写真の姿が落語の「紺屋高尾」と言う楽曲のものだと
  伝えたものの、そもそも「紺屋高尾」とは何なのかさえ知らない人には、そこから
  説明しなきゃいけませんでした(笑)
   実際はそんな内容を伝えなくても、椿山荘のオープニングでやった「紺屋高尾」の
  ステージを見ただけで外国の方は喜んでくれるんでしょうけどね!

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  一応 内容はこんな感じです。     (*ネット ピクシブ百科事典より転載)

      *****************************
神田紺屋町の染物屋で働く生真面目な職人・久蔵が寝込んでしまった。心配した親方の吉兵衛は武内蘭石という医者に久蔵を診てもらう。蘭石は久蔵を見るなり「さてはお前さん、三浦屋の高尾太夫に恋をしたね?」と、病の原因をズバリ言い当てた。実は部屋に入ったその時、久蔵は高尾太夫が描かれた絵草紙を枕の下に慌てて隠していたのだ。

聞けば、三日前に友人に「話の種に」と吉原の花魁道中を見物に言った折、高尾太夫の美しさにひと目で参ってしまったのだという。以来、何を見ても、何をしていても高尾の姿がちらついて離れず、飯も喉を通らない有様。そこで蘭石は「大名道具(高級遊女)とて所詮は売り物買い物。三年辛抱して金を九両貯めな、そうしたら私が一両足して十両。それで高尾太夫に会わせてやろうじゃないか」と提案。それを聞いた久蔵、布団から跳ね起きて大喜び。その日から、高尾に逢える日を夢見てこれまで以上に真面目に働き続け、一切の無駄遣いをせず、3年の月日が流れた。

3年後の2月。吉兵衛は久蔵を呼びつけると「預かっていた給金が九両まで貯まった。後三年辛抱すれば、その金で店をもたせてやる」と提案するが、久蔵は頑として拒否。久蔵から訳を聞いた吉兵衛は「三年貯めた給金を一夜に、それも吉原の遊女を買う為に遣うだと…俺はそういう話は大好きだ!」と言って自分の着物一式を引っ張り出し、吉原に行っても恥ずかしくない身なりを整えさせると、「あの人は腕はヤブだが女郎買いは名人だ」と言って蘭石の所に行くよう言う。

蘭石は「約束だから連れて行くが、紺屋の職人では逢ってはくれない」と言って、久蔵に“京橋(現在の銀座線京橋駅付近)あたりのお大尽”のフリをしろといい、「私を“武内”と呼びつけにして、口をきくとボロが出るから何を聞かれても鷹揚に“あいよ”と頷いていればいい」と言い含める。

さて吉原の三浦屋。幸運にも、高尾はちょうど客がキャンセルをして体が空いていた。にわか大尽の久蔵は店とのやり取りを全て蘭石にまかせ、云われたとおり「あいよ、あいよ」と相槌をうつ。やがて花魁の部屋へ通され、蘭石は馴染みの茶屋へと引き揚げた。上座の立派な座布団に座ってソワソワしていると、この三年間恋いに焦がれ続けた高尾太夫が、禿に手を引かれてしずしずと現れる。

高尾は煙管を咥えて煙草に火をつけると「一服、吸いなんし」と久蔵に勧め、久蔵は“高尾が手ずから煙草を…”とドギマギしながら火玉が踊るほどに力一杯吸い付けた。やがて、高尾が「うらはいつでありんす?(次はいつ、来てくれるのですか?)」と型通りに聞くと、生真面目な久蔵は「三年後」と正直に答える。随分気の長い話ではないかと首を傾げる高尾に、感極まった久蔵はに染まった自らの爪の先を見せて、自分が染物職人だと明かす。

三年前に道中姿を見てあんたに惚れた。ここに来るための金を稼ぐのに三年。だから、今度はまた三年先。三年の間に高尾が身請けされれば、これが今生の別れ。逢ってくれてありがとうございます、一生の思い出に致します

頭を下げる久蔵。その時、高尾の頬に雫が伝う。「源平藤、四姓の人に枕を交わす卑しき身を、よくも三年も想って下さった…」高尾はやおら久蔵の手を取り、「来年二月十五日に年季(ねん)が明けた暁には、ヌシの側に行きんすゆえ、どうぞ女房にしてくんなまし」と伝え、起請代わりにと香箱(お香を入れる箱)の蓋を久蔵に手渡し、その夜は久蔵を亭主の待遇でもてなした。

一夜明け、天にも昇る心地で店に戻った久蔵は、それからというものは何をしても「来年の二月十五日」と口走るようになり、周りからは「おい二月十五日」などとからかわれる始末。そして待ちに待った翌年の二月十五日、久蔵のもとに高尾がやってきて、周りの人間はびっくり仰天。二人は親方に仲人を頼み、めでたく夫婦となる。そして高尾の持参金を元手に紺屋(染物屋)の店を持ち、睦まじく暮らした。代々の高尾太夫の末路は悲惨なものばかりだが、この紺屋高尾だけは80余歳の天寿を全うしたそうな。

「傾城に誠無し」とは誰(た)が言うた。紺屋高尾、その名の由来の一席。

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このブログを書いている間中 頭の中では ♪紺屋高尾♪が流れてました(笑)

  皆さんは「日本の歌」と言えばどんな楽曲を・・・
  随分以前、海外公演をしてる頃に成田発・着の機内誌を見ていると
  オーディオリストの中に「日本の歌」と言うチャンネルがあって
  そこには演歌が入っていました。
    (最近は海外に出れていないのでわかりませんが・・・)
  
  考えてみたら、演歌と言えば本当に日本的ですものね! 

  そんな事もあって演歌をもっと海外で・・・と思っていたのですが、
  コロナの事もあって色々な企画をする上で、あらためて考えてみたら
  真木さんのステージは海外の人は間違いなく興味をもつだろうな~~~
 
  そこで、手元にあるこれまでの公演の写真や映像を再確認していたのですが
  ついでに、ネットにはどんな写真が出てるんだろうと思い検索をしてみました。

  するとこんなものが・・・

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                *アップルミュージックさんより借用 

  実はこれは、ネットで音楽が聴ける「アップルミュージック」で
  真木さんを検索すると出てくるみたいなんですが、なんと日の丸みたいな
  赤い丸の中に紺屋高尾の真木さんが・・・
  ( 私が加工して赤い丸の中に入れたんじゃありませんよ!
    上記は日の丸のバランスにしてますが、実際は真っ白な画面に
    赤い丸です。)

  これぞ正しく日本ですよね!
  真木さんには「日本の歌」演歌を十分に魅せて聴かせてもらわなくては・・・

               「和サビ」の好きな ♪ かんりにん ♫

   

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