数日前のブログで、話の流れから戦争関連で「知覧のホタル」と言う一人芝居の事を
一瞬だけ出してしまったのですが、せっかくなのでその一人芝居の事でこぼれ話を少し・・・

 実は今計画している「映像鑑賞ライブ」では、真木さんに制作秘話としての裏話を
 聞かせてもらうコーナーもあるんですが、こちらでは制作スタッフ側の制作こぼれ話を
 少ししてみたいと思います。
      03-19


 まず、皆さんは「知覧のホタル」と言う一人芝居作品を渋谷伝承ホールで生で御覧頂けてますか?
 又はその時のDVDをご覧頂けてますでしょうか?

  御覧頂いた方はお分かり頂けると思いますが、ストリーの途中突撃前夜 
  薄暗い裸電球の下、身の回りを世話をしてくれた少女に直立で敬礼をして
  「明日行ってまいります!」と言うシーンで、ステージ奥の壇上に、飛行服を着て
  飛行帽にゴーグル、そして首には絹の白いマフラーを巻き敬礼をする青年兵の姿が
  薄ぼんやり見えたと思います。
   ( DVDでは全体の照明がかなり暗いのでほとんど見えないかもしれませんが)
  その時の青年兵は舞踊団 正藤のメンバーがやってくれたんです。
  そして、その時着ていた飛行服は実は当時の本物の飛行服だったんです。

     *飛行服の内側には検品された昭和十七年と押印されています。
      そして、おそらくサイズが四号だろ思いますので、当時としては
      大きいサイズだったんだと思います。
      
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    *当時としては比較的大きかったからなのか、ほとんど痛みもなく
     未使用に近い状態で入手したものです。
     ちなみに、写真は舞台で使用した本物です。
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     そして、内側は上空の寒さにも耐えられるように内側は全面毛皮でした。
     
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  ちなみに当時の日本軍はウサギの毛皮を使ったいたそうですが高高度になると、
  それでも寒いので諸外国の飛行服を参考にヌートリアの毛皮も使う事があったそうです。
  ただ、戦争も末期になるとヌートリアどころかウサギの毛皮の入手も難しくなり、
  猫の毛皮を使っていたそうです。
  その為、初期の頃のように全面均一な真っ白の毛皮ではなく、パッチワークのように
  なった毛皮だったとも言われています。

  そして、芝居では青年兵が少女に残していった、搭乗員のシンボルのような憧れの
  白いマフラーは、実は古い落下傘の生地(絹)を使う事が多かったそうで、その多くは
  京都の舞鶴で学徒動員された女性たちが作っていたそうです。

  ちなみに、この絹の白いマフラーは単におしゃれや首元の防寒だけではなく
  上空での戦闘では全方向に注意を払うために首の動きをスムーズにする役目もあり
  ました。そしてそれだけではなく、曇った窓を拭く事やケガの止血の為に使う
  目的も兼ねていたそうです。

  ただ、その白いマフラーにはその実用的な意味だけではなく、突撃して死んでゆく
  兵士の白装束の意味があるとも・・・

  そんな深い意味のある白いマフラーには、送り出す親などが当時の五銭や十銭と言う
  お金を縫い付けて送り出した事もあったようです。
  それは四銭(死線)を越えて帰って来てほしいから・・・五銭を   
  そして、九銭(苦戦)を乗り越えて戦いぬいて帰って欲しいと言う切なる願いから
  ・・・十銭を縫い付けて送り出したとか。
  
  真木さんの一人芝居「知覧のホタル」では、芝居用に絹で白いマフラーを作り
  そこに、当時の本物の五銭と十銭縫い付けて使う事にしました。
  そして、もちろん飛行服は当時の本物(ゴーグルと飛行帽はレプリカですが)を
  使い、劇中で真木さんが実際に読んでいた手紙は当時の陸軍で使っていた便箋等に
  真木さん自身が筆書きしたものです。

  一つの芝居・・・でも、その題材を考えた時に 制作スタッフとしても気を使い
  より真剣に取り組む為に小さな一つ一つにもこだわり、そしてその中で真木さんに
  芝居をしてもらおうと・・・
  それが、あの「知覧のホタル」でした。

  あらためてDVDでこの作品を見て頂く時に、白いマフラーの本当の意味なども含め
  知った上で見て頂ければと・・・

           hotaru

  
 <追記>

  芝居冒頭はスクリーンで写真を数点投影していますが、実はあの写真は真木さんの
  仕事関係の方が、ご自宅で遺品整理の時に出て来た大切な実際の写真を使わせて
  頂いているんです。
  そして、その写真と共に流れるナレーションは真木さんが名古屋でお世話になっていた
  東海ラジオの名物パーソナリティー・
松原敬生さんにお願いしたもので、後に名古屋での
  イベントゲストに出演した時には、松原さんが生でナレーションを入れて下さいました。
  (まだまだご一緒させて頂きたかったのですが、残念ながら松原さんは昨年11月に
   お亡くなりになりました。)

  また、芝居途中の劇的なシーンでスクリーンに「明日行ってまいります!」と言う
  筆文字が出ますが、これは富山の北陸柚の会の方に書いて頂いたものでした。
     
  ご縁のある方々にもお力添え頂いて出来た作品として、制作スタッフにとっても
  思い出深い作品でした。

                       ♪ かんりにん ♫