昨日制作こぼれ話「知覧のホタル」をアップしたら、意外な方から連絡頂いたのですが
その方はブログを読んでから改めてこの作品を見たとの事。
小さな一つ一つの事や意味を知ると余計に泣けたそうです。
さすがに、雪かごは思い浮かべないように見たそうですが(笑)
そして、一言 こんなことなら他の作品のこぼれ話も書いてくれるのか?と・・・
と言う事で、一応真木さんにも了承を頂き「能代お菊」についても書いてみようかと
思います。
ただ、こちらでは制作側のこぼれ話ですので「映像鑑賞ライブ」で予定している
真木さん自身の裏話とは異なります。
この作品の初回公演の時には私はご縁がなくて詳細が分からないんです。
でも、後に再演をしてツアーで各地を回る時には少し関わらせて頂いていましたので
少しだけこぼれ話を・・・
まずはあらためて「能代お菊」とはどんな芝居か・・・
「 能代お菊 」
生まれてすぐに両親を亡くし、三歳で病にかかり目が不自由になってしまったお菊の、
せつなくも悲しい一途な恋の物語。
6歳でごぜの親方に預けられ厳しい修行に耐えながらも、19歳で最初で最後の恋をした
のが、三味線弾きの弥太という男。弥太の弾く三味線の音色に心奪われたお菊
だったが、戦争に召集された弥太との別れに、弥太の一部をと髪の毛を貰い
弥太の帰りを待つお菊。
しかし、信じられない弥太の裏切りを噂で知る事になる。“弥太が幸せならば
それが私の幸せ”と、悲しみをこらえるお菊だったが、お菊にさらなる不幸が・・・
失意のどん底に落ちたお菊は結核にかかり、しまいには弥太が弾く三味線が幻聴として
聞こえてくるようになっていた。
実演されましたが、それぞれの会場がまったく異なっていて、公共ホールや能楽堂、
ライブハウスにホテルのバンケットと同じ演目を実演するにはあまりにも制作環境が
違っていてかなり苦労がありました。
特に演出的な照明では不利な条件も多く、障子に弥太のシルエットを映し出す
シーンでは会場の奥行が足りないなどの事から、セットの位置関係を調整する必要が
ありました。
そんな苦労の多い条件での公演でしたが、名古屋の公演では音響・照明が
セッティングを進め、いざリハーサルの時間・・・と思いきや、肝心な舞台セットが
組み終わっていません!
何と舞台になければいけない肝心な障子のセットがないんです。
おまけに、全ての確認をしなくてはいけない舞台監督もステージまわりには
いないんです。
さ~大変です!
セットは出来上がっていない上に全体を管理して、リハーサルを進めなくてはいけない
舞台監督がいません・・・
かと言って舞台監督抜きでリハーサルをする訳にも行かず、まずは真木さんに
セッティングの都合でリハーサルが少し遅くなる旨だけを伝え、スタッフが
舞台監督探しを・・・(苦笑)
ちなみに、この時には脚本家の先生の事務所が舞台セットや舞台監督も受け持っていて
何とも気まずい雰囲気に・・・
そんな中、舞台監督を探しに行っていたスタッフから
「地下の駐車場にいました~~~」と報告が・・・
慌てて行ってみると、セットの手直しの為に障子に色を塗っているじゃありませんか!
も~ひえ~~~って感じですが、さすがにセットも必要ですが、リハーサルも大事。
そこで、仕方なくリハーサルの順番を入れ替えて舞台監督抜きで、代理監督のもと
リハーサルを開始。
結局はギリギリで全て帳尻はあったのですが、ひやひやビクビクのリハーサルでした。
ただ、本番は芝居の内容も能楽堂の雰囲気にもマッチして印象的な舞台となりました。
また、別の公演地では音響のトラブルで演じている真木さんのピンマイクが
使えなくなり会場ではマイクを通した真木さんの声が聞こえなくなってしまいました。
その時真木さんは慌てる事もなく、地声のまま演じ続けたんです。
その状況に会場は物音ひとつする事もなく、
これこそ「水を打ったような静けさか・・・」と思わせる空気感に変り、
真木さんの演技に引き込まれたんです。
おそらくこの時真木さんは完全に役に入り切っていたのだろうと思いますが
これが本当の役者って事なんだろうな~と思わせる出来事でもありました。
そして、この「能代お菊」が真木さんの代名詞とも言える一人芝居を定着させる
歩き出しの作品となり、この時に皆さんも良くご存じの三行の添え書き(名刺や
封筒・ホームページなどでもお馴染み)が、生まれました。
歌を語り
人生を演じ
儚さを舞う
♪ かんりにん ♫
その方はブログを読んでから改めてこの作品を見たとの事。
小さな一つ一つの事や意味を知ると余計に泣けたそうです。
さすがに、雪かごは思い浮かべないように見たそうですが(笑)
そして、一言 こんなことなら他の作品のこぼれ話も書いてくれるのか?と・・・
と言う事で、一応真木さんにも了承を頂き「能代お菊」についても書いてみようかと
思います。
ただ、こちらでは制作側のこぼれ話ですので「映像鑑賞ライブ」で予定している
真木さん自身の裏話とは異なります。
この作品の初回公演の時には私はご縁がなくて詳細が分からないんです。
でも、後に再演をしてツアーで各地を回る時には少し関わらせて頂いていましたので
少しだけこぼれ話を・・・
まずはあらためて「能代お菊」とはどんな芝居か・・・
「 能代お菊 」
生まれてすぐに両親を亡くし、三歳で病にかかり目が不自由になってしまったお菊の、
せつなくも悲しい一途な恋の物語。
6歳でごぜの親方に預けられ厳しい修行に耐えながらも、19歳で最初で最後の恋をした
のが、三味線弾きの弥太という男。弥太の弾く三味線の音色に心奪われたお菊
だったが、戦争に召集された弥太との別れに、弥太の一部をと髪の毛を貰い
弥太の帰りを待つお菊。
しかし、信じられない弥太の裏切りを噂で知る事になる。“弥太が幸せならば
それが私の幸せ”と、悲しみをこらえるお菊だったが、お菊にさらなる不幸が・・・
失意のどん底に落ちたお菊は結核にかかり、しまいには弥太が弾く三味線が幻聴として
聞こえてくるようになっていた。
※目の不自由なお菊が三味線を弾くというシーンでは、真木さんは約5か月で習得した
津軽三味線に挑戦している。
それも目の不自由な役柄の為に目を閉じたまま演奏。
エンディングでは、題材となった真木柚布子の『紅吹雪』に合わせ、天に召され全ての
苦痛から解放されたお菊が、目を開いて幸せを胸に踊る姿が感動的に描かれている
作品です。
実演されましたが、それぞれの会場がまったく異なっていて、公共ホールや能楽堂、
ライブハウスにホテルのバンケットと同じ演目を実演するにはあまりにも制作環境が
違っていてかなり苦労がありました。
特に演出的な照明では不利な条件も多く、障子に弥太のシルエットを映し出す
シーンでは会場の奥行が足りないなどの事から、セットの位置関係を調整する必要が
ありました。
そんな苦労の多い条件での公演でしたが、名古屋の公演では音響・照明が
セッティングを進め、いざリハーサルの時間・・・と思いきや、肝心な舞台セットが
組み終わっていません!
何と舞台になければいけない肝心な障子のセットがないんです。
おまけに、全ての確認をしなくてはいけない舞台監督もステージまわりには
いないんです。
さ~大変です!
セットは出来上がっていない上に全体を管理して、リハーサルを進めなくてはいけない
舞台監督がいません・・・
かと言って舞台監督抜きでリハーサルをする訳にも行かず、まずは真木さんに
セッティングの都合でリハーサルが少し遅くなる旨だけを伝え、スタッフが
舞台監督探しを・・・(苦笑)
ちなみに、この時には脚本家の先生の事務所が舞台セットや舞台監督も受け持っていて
何とも気まずい雰囲気に・・・
そんな中、舞台監督を探しに行っていたスタッフから
「地下の駐車場にいました~~~」と報告が・・・
慌てて行ってみると、セットの手直しの為に障子に色を塗っているじゃありませんか!
も~ひえ~~~って感じですが、さすがにセットも必要ですが、リハーサルも大事。
そこで、仕方なくリハーサルの順番を入れ替えて舞台監督抜きで、代理監督のもと
リハーサルを開始。
結局はギリギリで全て帳尻はあったのですが、ひやひやビクビクのリハーサルでした。
ただ、本番は芝居の内容も能楽堂の雰囲気にもマッチして印象的な舞台となりました。
また、別の公演地では音響のトラブルで演じている真木さんのピンマイクが
使えなくなり会場ではマイクを通した真木さんの声が聞こえなくなってしまいました。
その時真木さんは慌てる事もなく、地声のまま演じ続けたんです。
その状況に会場は物音ひとつする事もなく、
これこそ「水を打ったような静けさか・・・」と思わせる空気感に変り、
真木さんの演技に引き込まれたんです。
おそらくこの時真木さんは完全に役に入り切っていたのだろうと思いますが
これが本当の役者って事なんだろうな~と思わせる出来事でもありました。
そして、この「能代お菊」が真木さんの代名詞とも言える一人芝居を定着させる
歩き出しの作品となり、この時に皆さんも良くご存じの三行の添え書き(名刺や
封筒・ホームページなどでもお馴染み)が、生まれました。
歌を語り
人生を演じ
儚さを舞う
♪ かんりにん ♫